谷川俊太郎さん 新聞を語る

新聞はほぼ全部、コトバ、それも日本語でできている。それに気がついたから書けたのが今回の詩。片仮名の「コトバ」にしたのは漢字の「言葉」より広い意味を込めたかったから。漫画や写真も新聞には載っているけど、広義にはコトバかな、と。

少しは新聞の悪口を言いたかったけど、朝日新聞に頼まれて書くわけだから、そんなに悪口は書けないでしょ。それで「気づかずに人を欺く」と書きました。実際、記者はまじめに正直に書いたんだけど、記事が虚偽になってしまうことはあると思う。

もともと「コトバ」は玉虫色の存在だから、「現実」や「事実」もコトバにした途端によく分からなくなってしまう面がある。世にフェイクニュースが流れ、人が信じてしまうのもコトバの力ゆえといえる。

かつて「朝日とともに」という詩を書いたけど、いつのことか覚えていない。ただ当時は新聞に力があった。こう言ってしまうと悪いけど、最近は朝、新聞を読むのが楽しみではなくなった。新しい事件や新しい話題が載っていても、既視感があり、驚かなくなちゃった。

でも、これは朝日新聞が悪いといいうのとは違う。読む方の感性が鈍ったんだと思う。たとえば、テロで人が殺されたというニュースは過去のテロ事件と比べて、構造に新しさがない。その構造に迫るのは小説ならできるけど新聞は難しいでしょ。

朝日新聞/2019/01/25/日付より