大熊町から避難 7年ぶり母校へ

 東京電力福島第1原発が立地し、原発事故で全町避難が続く福島県大熊町の町立大野小学校で2日、事故当時の在校生や保護者が7年ぶりに校舎に立ち入った。現在も帰還困難区域にあるものの、校舎や周辺の除染が終了し、立ち入りが許可され、6世帯13人が懐かしい学びやを見て回り、教室に残した学用品を持ち帰った。

 大野小は第1原発の西約5.5㌔に位置する。東日本大震災の発生時は児童約420人の大半が下校していた。以来、校舎にほぼ手は入っておらず、教室には子どもたちの名札やクレヨン、鍵盤ハーモニカなどが残されたままとなっている。
 当時2年生だった小勝優希さん(15)は移住先の茨城県つくば市から両親と訪れ、教室の壁に貼られた自筆の「3学期の目標」を見つけた。「きちんとあいさつする」「図工と国語をがんばる」ー。
あれから7年。鉛筆書きの文字はたどたどしい。

毎日新聞/2018/03/03/日付より