サッカー海外移籍 ヒデが粉砕した壁

14日開幕のサッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会。日本代表23人のうち、20年前のフランス大会では1人もいなかった海外クラブ所属選手が15人に増えた。平成の世になりボーダレス化が進んだこの球技では「日本も世界の一部」。海を渡って往来する選手の波がそう告げている。

日本のプロスポーツ選手が海外で日常的に活躍する姿を思い描くのが難しい時代があった。特にサッカーは本場との力の差は大きく、平成に入る前に欧州トップレベルで活躍した選手となると、1977年から86年までドイツでプレーした奥寺康彦の例があるくらいだった。

20世紀の終わりが近づいたころ、そんな状況に中田英寿がくさびを打ち込んだ。山梨の韮崎高から95年にJリーグの平塚(現湘南)に入団、96年アトランタ五輪に出場。日本が初めてワールドカップ(W杯)に出た98年フランス大会では21歳で代表のエースの座に駆け上がっていた。

この大会終了後、中田は当時世界最高峰と言われたイタリアリーグ(セリエA)のペルージャに移籍を果たす。中田と二人三脚で移籍を成功させたサニーサイドアップ社長の次原悦子は、最初の交渉でイタリアの代理人に浴びせられた言葉を忘れない。

「日本のサッカー選手をイタリアでプレーさせるのは、モロッコのクルマを日本に持ってきて、日本車より高く売りつけるようなものだ」

セリエAといえば94年、中田に先んじて三浦知良が東京Vからジェノアへ移籍、1年で失意の内に帰国していた。

懐疑的なムードの中で迎えた98年セリエA開幕戦。中田は王者ユベントスから2得点して衝撃デビューを飾る。インターネット上に公式サイトを開き、自ら情報発信するスタイルも含め一躍、時代の花形となった。

日本経済新聞/2018/06/02/日付より

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